とにかく駆け抜けた

去年の誕生日から明日で1年。

あの時点から生活ではなく人生が少しずつ動き始めて、プー太郎だった自分は今東京で働いている。

 

27歳には昔からずっと憧れていた。

若さと落ち着きが一番心地いいところで交わり合う良い年齢だと思っていた。

別に身近にそう感じる人がいたわけでもないから、本当にイメージだけど…。

 

だから本当はもっと落ち着いて27の1年を過ごしたかった。

生活を噛み締め、人生を踏みしめるような。

でもまあ新生活始めたのだからバタバタで、体調もちょっと崩したし、平日も休日も緩やかに必死だった。

東京で会おうと言ってくれる人に会う余裕も全然生まれなかった…。

 

けど、振り返ってみると、自分の好きな自分が崩れることはあまりなかったし、とにかく頑張ってえらかったねって思う。

27が頂点すぎてその後のイメージは全然わかなかったけど、幸いその最後の日まで生き延びることができ、相当なことがない限りもう暫くは生きられそうなので、明日以降についての多少の想像はできている。

 

ざっくり言うと、駆け抜けすぎて本当に大事な一握りを大事なままにするので必死だったから、少し歩をゆるめて大事にする範囲を広げていけたらいいな。

一握りのことはもっともっと大事にしたいな。

ちょっととか一瞬でいいから他人に素敵な人って思われたいし、自分では自分のことずっと素敵だって思っていたい。自分に謝ったり、自分を嫌ったりしたくない。

過去の自分を喜ばすために

 

zzznegoto.hatenadiary.jp

 

Twitterで懇意にしてくださっており、私激推しのフォロワーさんである寝言さんのブログに影響を受け、「一年後の話」と題してブログを書こう!と思い早5か月…まじか!あれからそんなに経ったのか!季節が2度変わってしまったね。

 

 前回のブログ更新(5/8)からは8か月以上。

その間、身体的にも精神的にも非常に安定して、穏やかな日々を送ってきたように思う。

 

思うに、文章でのアウトプットというのは、ある程度メンタルバランスが崩れている時のほうがうまくいくのではなかろうか。

ブログを書きまくっていた時もちょっと不安定な時期だったし、去年の年始に失恋した時はTwitterしながら「文学とか音楽ってこういう時に生まれるんだなあ」って実感するくらい筆が乗ったり、友達にも「今の紺ちゃん(いっしゅん名乗っていた名前)はロックに生きてるね」って言われたり…。

 

私はいろいろな思い出を文章で記録したがるたちだけど、この数か月間は記録するよりも自分の中で大事にかみ砕いたり、次のことを考えたり、そういうことを重視する生活をしていた。

記録したがりなのは忘れるのが怖いからだけど、本当に忘れたくないことって案外記憶に留まり続けるものなのね、ということもわかりちょっと安心したりもした。

 

さて一年後の話。

昨年8月、結局書かなかったものの、私は絶対今の場所にはいないだろうなという謎の確信だけはあった。

その確信に願望を上乗せするなら、「東京で一人暮らしを始めて、翻訳の仕事をしている」って書こうと思っていた。

 

そして、自分でもあまり実感がないんだけど、今年に入り、2月から東京で暮らすことが決まった。

ひねもす翻訳をするわけではないけど、名目上は翻訳者という立場でお仕事をすることになっている。

 

確信があったとか願っていたから叶ったとかではなく、本当に運とタイミングだと思う。

私は好ましく思えないことや頑張れないことに関しては本当に根気がなくて、前職もそれでだめになってしまった。かなり自信を失った。

 

でも、このお仕事への採用が良し悪しどちらに転ぶかはまだわからないとしても、私が頑張って愛してきた語学って、頑張れなかったことを補填するくらいの力はあるのかもな、ととりあえずわかったことが嬉しい。

面接をしてくれた人たちも全員同じ語学を学んできていて、その言語を使って話したわけではないけど、「ああ~久々の言葉が通じる大人だ~」と感動したのを覚えている。

同じ言語を学ぶと、なんとなくその人のもつ語彙に親しみを覚えたり、文化的背景も似通ってくる感覚がある。つまりは、初対面かつ面接という緊張する場面のわりに、話していて心地よかったのだ。

 

実際どういう仕事をするかは入ってみなきゃわからないし、実態は体よく雑用でこき使われるだけかもしれないけど。

でも悲しいことばかり想像するのも疲れるから、来年の夏、去年の8月の自分を喜ばしてあげることができていればいいなあと思う。

喜ばせてはあげられないとしても、私は過去の自分に謝り続ける人生はいやだから、未来の自分にとって必要な経験が待っているのだと思いたい。

 

幸い、高校・大学の友達がすごく喜んで待ってくれているし、あとTwitterで知り合った人たちも遊びましょうって言ってくれるのがすごく嬉しい。

そして付き合っている彼女も、示し合わせたわけでもなく東京にいる。不思議だわ。

なんでもかんでも助けてもらおう、助けてあげようとは思わないけど、普段から日常の一部を共有している人が同じ土地にいるというのは大きな安心感がある。

ほぼ同じタイミングでの移動で、2人とも穏やかな生活になるまでにはやや困難がありそうだけど、助け合い・補い合いができたらいいよね。

 

遠距離(といっていいのか?)しんどそうだなあと思いつつしんどさを感じる間もないまま私の移動が決まったけど、そうなっていたら絶対しんどかっただろうな。

自分と近似したセクシュアリティの人と一緒にいたいと考えた時から、距離の遠い人とそうなる可能性は自然に受け入れていたけど、もともと近くにいた人が遠くに行くのは意味が変わってくるからねえ。

今でも平日、たまーに連絡を取らなかったりして、彼女なんて存在したっけ?とふと思ってしまう夜もあるけど、そういう時は写真を見ると瞬時にその質量ごと思い出せる。それくらい一緒に過ごしてきたんだなあと思うと心が強くなるね。

 

そんな感じで、貯金だいぶ消し飛ぶし猫と離れるの寂しいし地元のお気に入りのお店の「また来てください」の「また」がいつになるかわからないの寂しいけど

せっかくなら去年の自分の確信が真実になるくらいまでは頑張るつもりで、ゆるっとまいろうと思います。

そのモチベーションの維持の仕方、私っぽくてなんか良いなと書きながら思った。

雑感ハイライト

ブログ全然更新してなかったわ〜い。

4月物理的にも精神的にもけっこう忙しくて、全然文章でのアウトプットする余裕がなかった…。暇な時じゃないと、まとまった文章って書けないんだなあと実感。

文章書くこと嫌いじゃないけどライフワークにはできないなと思う理由はこれで、環境や精神状態の変化に影響を受けず、一定の質を保って継続的にものを書ける人すげーなと思う。

でもせっかく作ったし、単なる思い出記録でもTwitterよりまとめて残しやすい利点があるので細々と続けよ〜。

 

思い出記録といえば…

私は思い出を文章や写真(時々モノ)で余すところなく記録しておきたがるきらいがあるなあとこの間思った。

中学生の頃くらいから、何か楽しいことがあったら帰宅して即とりあえずメモに残すし、ブログはつい描写が細かく冗長になったり写真が多くなりがちだし…楽しかったことを忘れるのが怖いのよね。

あと映画の半券とか買い物でもらったショッパーとかちょっと良いお菓子の包装紙などなど、なかなか捨てられない…。

モノから想起できることってなんだかんだ多いなあと、10代の頃捨てられなかったものを最近整理してると思うんだよね。(だから整理するといいつつ全然捨てられてない)

 

原因は複合的なものだと思うんだけど、一番重いのはこれかなあとこないだ思ったのは、中1の時にそれまでの思い出の品物や写真を自分の意思とは関係なく大量に棄てられてしまったことなのかも。ランドセルとか幼稚園小学校の卒業アルバムとか、工作とか。

自分で決めて捨てるんじゃなく、与り知らぬところで思い出と切り離されるような感覚。仕方ない背景があったし、今までそんなに気にしてるつもりなかったけど、思い返したらなんかすごく切なくて泣きそうにさえなってしまったんだよね。

 

だから人と会った時に起きた何気ない出来事や言葉もなるべく憶えていたいと思うし、現に結構憶えていて「あの時さ~」と話しては「なんだっけ?」「そんなこと憶えてたの?」と言われることも多々なんだけど

ときどき自分は忘れてしまったけど相手は憶えていたみたいなことが起き、相互に思い出の補完をできることもあって、そういう瞬間ってすごく心地いいなあと思うし、それを積み重ねられる人との関係は非常に素敵だと感じている…。

基本、他人に自分のことや自分との記憶を残しておいてもらおうとしてないのかもな。その分自分が責任を負えばいいみたいな…。

 

 

話変わるけど、4月に入ってから指導教員が開講している翻訳の授業に顔を出すようになった。中国の最近のニュース記事やエッセイを音読して、学部生の履修者と一緒に順番に訳出していく授業。

大学の頃も「文学演習」という講義名でこういう授業は沢山受けてきたけど、当時は文学作品や京劇のプロットを読解するのがメインだったので、また毛色が違うものを読めて面白い。

 

何より人と一緒に好きな言語を勉強できる楽しさを久しぶりに味わえていてとても幸せ…。

文学や論文の翻訳は勉強と趣味(?)を兼ねて一人でやることもあったんだけど、全然楽しくなくて。

やっぱり指導を受けることで明確な正解にたどり着けるのがうれしいし、少人数の授業だから複雑な文章はみんなで文法を分解してああでもないこうでもないと話し合うのが楽しいし、上手に訳出している学生をみると素直にすごいなあと思うし。

あと留学経験者として下手な音読や訳出はできないと思っているのか、自分のために翻訳する時よりもかなりの時間をかけて語義や発音を調べるので、とても良い勉強になっている。

 

そのおかげか、こないだオフ会でたまたま中国出身の方と雑談した際にひっさびさにまともに中国語を使ったときも、自分で思ってたより全然話せたのでうれしかった。

(仕事で使えるレベルだよ!と褒めてもらえたので素直に喜んでモチベーションとしている)

やっぱり私は中国語を愛しているし、努力はそこそこだけどそれなりの才能あると思うし(謎自信)、これはおそらく一生ともに生きていく要素なんだろうなと大学生の時から直感的に信じている。

先日ぶじに応募書類を提出した留学の面接でも中国語会話があるみたいなので引き続きお勉強頑張ろう~。

 

 

そんな感じで勉強をちょこちょこしつつ、指導教員にも相変わらず甘やかしてもらっています…。

今週は簡単な翻訳の仕事を任せてくださるとのことなので楽しみ。

 

今後のことは相変わらず留学に行けたら行く!程度しか考えていないのだけど、きちんと翻訳の勉強をしたいなあとはうっすら思うようになってきた。それだけで生きていけるほど太い柱にはならないだろうとは思うけど、こういう自分の好きや得意でできた細い柱を複数立ててやっていくことはできるんじゃないかなあと。

前職で色々あって自分を心底嫌いになって人生がグダグダになった時、自信を取り戻させてくれたり、好きなことをもう一度やってみようと思わせてくれたきっかけが、指導教員が任せてくれた大きな論文翻訳の案件だったんだよね。

当時は体調もまだ最悪に近くて、楽しいもしんどいもよくわからないままとにかく必死に仕上げたんだけど、今思えばあのタイミングだからこそできたことだったし、それがあって今の生活を安寧に送れているので、本当に受けてよかったと思う…。

 

 

そうそう 指導教員といえば、先月なにげなくカミングアウト的なことをしたんだよね。彼女ができたんですよ〜 みたいな。

私のことを家族の次くらいに知っている大人だから、機会があれば言おうかな~と思いつつ、お互い同時期に暗黒期が訪れたりで言えなかったのだけど、なんか暗黒期を脱したのも同じくらいのタイミングだったので、すごく良い機をつかめたと思う。

 

絶対に私を傷つけるような反応はしない自信はずっとあったけど、まさにその通りですごくうれしかったな。

最初に「話してくれてありがとう」「誰にも言わないよ」と言われたのは、そこまで後ろめたかったり隠したい話じゃないのに変なの~、とは思ったけど、それも説明したら納得してくれたし。逆にもうちょっとうしろめたさみたいなものを持ったほうがいいのか?とは思った…。笑

 

学生として指導を受けている時からずっと「文化人類学は人とコミュニケーションをとることが肝要な学問だから、友達やパートナーと向き合って他者や自分について知ることも技量を磨く手段のひとつ」みたいなことは言われていて、「でも私はずっとひとりだと思います…ひとり好きなので…」って返すのが定石みたいな感じだったので、その時のことを思い出したりして。

あと、この年齢まで恋愛はおろか一方的な好意すら表明されたことがないことに起因する自信の無さとか諦めみたいなことについても話せてよかった。

話しながら、これ簡単に溶けるものじゃないし、もしかしたら一生付き合うのかもな〜嫌だな〜でももう自分の一部なのかもな〜って思ったりもした。

指導教員はさっぱりしてて明るくて私とは正反対のタイプなんだけど、惹かれるのは私みたいな内面の男性だと以前言っていたこともあり、ふむふむと聞いてくれたのが嬉しかった。

 

カムアウト的なことをしたのは指導教員で3人目だけど、どれも言って良かった~って思うことができたのは大変よいこと。毎度思うけど、私の周りの人間、理性的すぎでは?

むやみにすべきものでもないとは思うけど、人に言うことで自分を認めたりゆるせたり輪郭が明確になった部分もわりと大きいので、今後も自然に言う機会がちょこちょこあればいいな。

 

そんな最近の雑感でした。

雑な日記

先週 花鳥園に行ってきたので簡単に思い出記録。

(ブログとして正しい姿だとは思うけど思考整理はどうした。。そのうちやります。。)

 

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入園するなりフクロウやらペンギンやら水辺の鳥がいてパシャパシャ。これが前座に過ぎないなんて…すごい…。

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バードショー可愛かった。フクロウの歩き姿がこんなに愛らしいとは…。次行ったらお手伝い立候補しよ…。

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バードショーのあと、同じ会場でフクロウの腕乗せ体験があったので全種類乗せた。こういうふれあいや鳥の餌は別料金なので、どんどんお金が溶けていくよ〜。

一番おっきな子は2kgくらいあるみたいで、とても重くてちょっと怖かったな〜。私の推しは中くらいの大きさのいずもしゃん…首元に指プスって入れるのがとってもきもちよかった。もうすでに会いたい。

バードトレーナーさんがとても愛おしげにフクロウたちと触れ合っているのがとても印象的だったな。私も鷹匠とかになりたくなったぞ。

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やっとメイン?の温室に。鳥のご飯を持っているとカラフルな子たちがたくさん寄ってきてくれた〜。今見てもめちゃめちゃ楽しそうだな…笑

私はあほなのでカラフルな子たちにご飯を全部たかられてしまい、その先にいる子たちは全然寄ってきてくれなかったよ…。

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乗せてもらったやつなのでヤラセ。

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フラミンゴやエミューもいたよ。

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一番奥におはすアイドルのハシビロコウさんは最初行ったときお家に引きこもってて出てきてくれなかったんだけど

2度目のバードショーのあとに再訪して粘っていたら出てきてくれるというミラクルが起きてたいへん嬉しかった。しばし独占できたし。

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羽根を広げた姿や瞬膜も撮影できて満足。

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ほんとはもっと写真とったし撮ってもらったんだけど、キリがないので。

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グッズショップもこういうところにしてはお洒落だったりかわいい品揃えでめちゃくちゃ悩んだ…とりあえずちっちゃなハシビロコウは買ってしまったけど、いろんなところにお供してくれるから生活が楽しくなった。

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あとオカメインコのソックス〜。ふつうにお洒落。

そんな感じで とっても楽しい1日であった🕊(ざつ)

心溶かすひと

今日はちょっと久しぶりに大学に行って研究室のお手伝いをしてきた。

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その前にキャンパスの隣の芝生広場でしばし日光浴。大変心地よかったです。多分あのままいたら昼寝していた。

あ、先日出先でイヤホンのプニプニを失くして音楽が聴けなくなったイライラのあまりBluetoothイヤホンを衝動買いしたら、めちゃめちゃ便利で重宝している。外出先でもだし、家の中でも動きつつイヤホンで音楽が聴けるのめっちゃ良い◎

親にも言われたことがあるんだけど、外で一人でいる時に音楽聴けないとかなり気持ちの余裕がなくなるので、こういう時のリカバーにはいつも本気…。

 

さっそく脱線したけど、師事して4年になった指導教員は相変わらず私のことを信頼してくださって、些細なお手伝いでもすごく感謝したり褒めてくれるし、お役に立てた感じが嬉しかったな。

なんかね 優しすぎていつもそれに甘えてしまうから、いつかブチ切れられるんじゃないかと出会ったときから不安なんだよね…。

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ちょっと働いただけなのにすぐお茶にしてくれる、、笑

 

前も書いたけど、先生にとっては私が初めての院生で、たぶん東京の大学からはるばる来た学生(私としては東京の大学は経済的に厳しいという背景もあったし、指導教員の研究や人柄に惚れ込んでいたので全然そんな気持ちなかったんだけど)なこともあって、在学中から学部生と比べても親切にしてくださったし、距離感が近かったんだよね。

私的にはその背景抜きにしても、なんだか気が合う感覚を勝手におぼえているんだけど…。

 

なんか学部生に話を聞くと、学部内でもわりと厳しめの教員というイメージを持たれているようなんだけど、私に対して厳しいこと言ってきたおぼえなんて一切なくて、本当に甘々…笑

研究に関しても、もっとダメ出ししてほしいと思ってしまうくらい優しい指導だったな。そのぶんほかの先生に絞っていただいたとはいえ。

評価してくださること自体はとても嬉しいんだけど、たとえば研究とかで今よりもっと広いところに出た時、この指導教員からの優しい評価や良好な関係とのギャップに打ちひしがれないか心配ではある…。覚悟は常にしているけど…。

 

そんなことを思ってしまうくらい、今日もストレスフリーで、むしろ心ドロドロに溶かして頑張れたのだった。

コミュ障の気持ちを1000%汲み取ってくれるから、「印刷室にほかの教員がいて気まずかったら一旦帰ってきていいよ〜」とか言ってくれるんだよ…笑

来週からはちょっとだけ授業の聴講にも行くので、たのしみだな〜。

 

そいえばお手伝いの一環で図書館に資料を探しに行った時思ったんだけど、地方の大学だと読みたい資料に簡単にアクセスできないストレスがすごいなーと思った。蔵書が少なすぎ!

この大学に博士課程ができたら入学して指導教員に引き続きお世話になれたらサイコーとか思っていたけど、修論レベルでも不便なことは多かったし、大変だろうなあ。

 

そう思うと都内の大学に通っていた時はほしい資料がほぼ学内で手に入ったし、なければ取り寄せ、それも無理ならちょっと電車に乗って他大や大きな図書館に出向けば済んだのすごかったな。学部生ではその恩恵に与ることはそうそうなかったけど。

そう思うと、やっぱり地方には限界があるよな〜と色々考えてしまった。今後のこともぼちぼち考えないとな〜。

 

話変わるけど、土曜日に手創り市というのに行ってきた!

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自然の中で手づくりのアクセサリーや衣服や雑貨が売られていて、素敵な雰囲気じゃった!個性的なハンドメイドピアスとか、地元産の綿を使ったシャツとか、オーダーメイドの革靴とか…ちょと高価だったけど、みてるだけで幸せだった…。気になったお店やアイテムはなんとなく覚えたので、いつか手に入れられたらいいなー。

鹿肉を使ったガパオ麺、あったかいチャイ、きび砂糖をまぶして食べる揚げたての豆乳ドーナツも美味しかった〜 ドーナツまた食べたいな〜。

一方、地元じゅうのお洒落ピーポーが集まってる感じで畏怖をおぼえた。服は好きだけど、生き方や生活までお洒落にしたい気持ちはないので、そういう人々ちょっと怖いんだよね。

でもやっぱりこういうイベント好きだな。また行きたい。

雑感やで

ここ最近ふつうに日常が楽しかったので淡々とそのことを書いてばかりで、何も考えてなかったな。

風邪なのか花粉なのか未だに謎だが、日曜から声がガラガラだったり咳が出たりで体調崩していたのもあるけど。

なので以下は最近の雑感。

 

あっという間に4月。

来週あたりからぼちぼち大学で手伝いしたり、授業聞きに行ったり、留学の応募をしたり、公私の「公」のほうにも張りが出てきそう。

でも「私」の楽しみをところどころに設置することで「公」を頑張れるというある種あたりまえのサイクルを最近思い出せたので、変わらず色々しばけたらと思っている〜。

 

前職では休みの日にどれだけ(なけなしの)お給料を使って楽しもうとすれども全然疲れが癒されない時があったけど、今思えば相当無理があったんだろうな。

辞める前はかなり悩んだけど、やっぱり離れて良かったと思う。

 

昨日My Hair is Badの最新アルバム(といってもかなり前に出たやつ)『mothers』を聴いた。

mothers(初回限定盤)(DVD付)

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マイヘアのアルバムっていつもiPhoneに取り込んだ後は全然聴かなくて、こうして数ヶ月なぞに寝かせてから聴いて「良い…!」となることが多い。

「こっちみてきいて」→「永遠の夏休み」の流れがめっちゃ好き。「こっちみてきいて」はどことなくポルノグラフィティの「We Love Us」っぽかった。「永遠の夏休み」の淡々とした熱量がすごすぎてちょっと圧倒された。

椎木の韻踏み好きすぎて、私には作詞作曲の才能はないけど、こういう歌を作ってみたいなあとちょっと思っちゃう。

 

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水曜日だったかな、桜吹雪がとても綺麗だった。

ここ数年そんなに桜をじっくり見る時間も心の余裕もなかったけど、最近ここを通ることが多くてなんとなく観察していたら、一瞬で満開になって一瞬で散っていったことにびっくり。

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4月は某商店街に出る露天でカステラ買って食べるのがなんとなく毎年の習慣になっている。

 

あとはTwitterから引用〜。

なんかこないだだいたいのことは頷き合える友達と珍しく意見の相違があった時、全然嫌じゃなかったしむしろ嬉しかったことを思い出してのツイート。

意見の相違に対して怯まず追求できて、でも喧嘩にならない態度を身に付けたい。雰囲気や話し方も大事だけど、やっぱり豊富な語彙と適切な選択だよな。あと、その話題と話す相手をそれなりに愛せていなきゃむりかも。

そういえば家族以外にマイナス寄りの感情を発露したり爆発させたことがあまりないな。そうなることを忘れるくらいストレスを感じない相手としか一緒にいないようにしてるのかもしれない。

気まぐれで適当な素の自分でいても許してもらうという意味では周りの人に甘えまくっているけど、感情は自分自身や全くの外部(カウンセリングとか)に面倒見てもらうべきという考えがある気がする。

感情的になるとほんとにめちゃくちゃ泣いたり何言ってるかわからなくなったり、逆に口を噤んだりするから申し訳ないんだよな…。人のそういうのは許せるし、たまにはそうなっちゃうよね〜と思うし、きっと自分もそんな気にしなくていいとは思うんだけど。

 

あと回る寿司を食べにいった時のツイート。小さい頃に行った回る寿司といえば、かっぱかにこにこ寿司よね…?あとアトムボーイ…?

回る寿司は圧倒的にくら派なのだが、10年ぶりくらいにかっぱに行ったら、競合店と比較してのシステマチック感のなさ(注文したお寿司が大したスピード感もなくガタガタ音を立てながら新幹線に乗って運ばれてくる)、全体に漂う愛おしいチープさがたまらなく懐かしかった。

小さい頃、大好きだったおばあちゃんと時々お寿司を食べに来た日々を思い出して少ししんみりしてしまった。ディスってるわけではない。茶碗蒸しとかプリンとかめっちゃおいしかったし。

 

書き始めたはいいものの、全然気分じゃないのでただのツイッターの焼き直しのようになってしまったし、適当に終わる。

まだ本調子じゃないのかな。もうちょっとしたらきっと頭も働いてくるはず…。ポヤ

うそ一切なし

4/1

眼鏡を新調した!

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前からずっと欲しかった鯖江眼鏡を取り扱う金子眼鏡店が地元にオープンしたので、思い切って買ってしまった〜。

昔からど近眼で小6から眼鏡をかけ始めて、高校からはコンタクト、家にいる時や気を使わないお出かけの時は眼鏡という感じだった。

 

金子眼鏡を買うまでかけていたのは、なんと高1の時に作ったD&Gのもの。

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10年もかけていると度数も合わなくなってくるし、家族に踏まれたりして歪んでるし、かなりひどい状態だった…笑

何回かJINSで廉価なものを新調したこともあったんだけど、乱視が入っていることもあってどうもしっくり見えないしかけ心地も良くないからなんとなく使い続けてしまった。

 

ならば多少高くても一番ほしくて質が良いものを買おうと決め、年明けくらいから眼鏡貯金をして、手汗ダバダバかきながら買いに行ったの。

最初は元々かけていたみたいな黒ぶちのスクエア型を選ぶつもりだったんだけど、色々試して悩んで、店員さんが最後に出してくださった丸型のものにした。

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こういうの絶対似合わないと思って敬遠してたんだけど、これはボストンとラウンドの合いの子って感じで意外と合わせやすかった。

色も黒と鼈甲風のツートンが可愛い。

 

検眼がほかの眼鏡屋さんに比べてとても丁寧だったし、フレームを選ぶ時も、受け渡しの際の調整もすごく親切で、しあわせな買い物だった…☺︎

早速身につけて生活しているけど、あまり強く矯正しない度数にしてもらったからクラクラ感もないし、軽くてかけ心地もすごくいい!

でもややずれやすいので、近くに寄った時に調整してもらおう。

 

眼鏡を受け取った後、友達とランチして散歩してパフェ食べてお茶をした。

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最近おかゆ食べすぎ。

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公園で思わず乗ったものの、不審者感強すぎてすぐやめた。

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ずっと食べたかったいちごパフェは幸せの味がした…。

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租界時代のお洒落だった上海をモチーフにしたカフェ。自分の中のチャイナが足りない時にたまに行って癒されている。

いつもは霊芝珈琲を飲むんだけど、初めて飲んだ杏仁ミルクティーもおいしかった。

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店内の雰囲気、マグカップの柄、ノーカラーのシャツ、眼鏡も相まって、なんだか中華民国文人ぽさが出てて嬉しい写真。

本当は切れ味鋭そうなクールな雰囲気に憧れているんだけど、シンプルでちょっとクラシカルなものが似合う柔らかな雰囲気も良いなあと最近思う。

 

夕方はお祭りをちょっと見て、お花見をした〜。

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いつもは歩けないところ歩けるの楽しい。

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かわいくておいしい。

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念願の祭りでケバブ

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腰を据えてお花見したの多分生まれて初めてだったけど、桜見てるだけなのになぜかやたら楽しくてしあわせなのおどろいた!日本人のDNA!

夕方から夜にかけて空の色が変わっていくのも素敵だったな。ちょうど朧月も綺麗な夜で、最終的には寝転がって眺めてしまった。(時々ギョッとした感じで見られたのでおすすめはしない)

めちゃめちゃ寒いのに、いつまでも帰るのが名残惜しいくらい、美しくて楽しかったなー。案外人もいなくてゆったり座れたし、これは来年もしたい。