あさきゆめみしとか好き
たまに通りかかる絵本屋さん(なのに古本も結構置いてある)のワゴンセールがずっと気になっていたんだけど、こないだやっとじっくり見ることができた。
文学、エッセイ、自己啓発、研究書など、謎とも豊富とも言えるラインナップ。
研究書は、近所の大学の卒業生が卒論書き上げた後に売ったんだろうな〜っていう顔ぶれだった。
3冊500円だったので、20分ほどかけて選んだのがこちら。
- 島崎藤村『春』
表紙の雰囲気に惹かれたのと、もうすぐ春だしなあと思っただけなんだけど、パラパラ読んだ感じ案外読みやすそうだし買ってみた。
島崎藤村の自伝だそう。20代の苦悩ってもしかしたらわたし的ドンピシャな内容かもしれん。楽しみ。
- 吉行淳之介『星と月は天の穴』
タイトルかっこよすぎじゃない?
ネットであらすじを調べた感じではそんなに響かなそうではあるけど、ちょっと読んでみた時の淡々とした感じがけっこう好みだったので楽しみ。
中学生の頃ブログを介して知り合って、長いメールや手紙、電話で仲良くなり、最終的に大阪の自宅まで遊びに行った子のハンドルネームが星月ちゃんだったな〜。懐かしい。
なんか友達とかが読んでた気がする。関心ドンピシャなのでふつうに勉強のつもりで読も〜。
授業ででも使ったのか赤線だらけだったので、これを売った人がどんなことを意識しながら読んだのか覗き見する気持ちで。笑
選んでたら店主らしきおじいさんが突然外出しちゃって戻ってこなくて買えなかったけど、用事を済ませて再訪したら無事買えたのでよかった。
一応商品吟味してる人置いて鍵もかけずに出かけるってすごいよね…そういうの好きだけど。笑
話は変わるけど この年明けから2月末までボランティア的に10時間ほど漢文を教えていた子の期末試験が終わり、なんと学年最下層レベルから平均点まで成績が上がって先生にも褒められたそう。
古文漢文の家庭教師は院生の頃やっていて、数年ぶりの先生ごっこだったけれども、なんとか結果を出せてよかった…。
でも自分の感覚では準備時間も教える時も全然頭が働いていなくて、こんな教え方じゃ申し訳ないなっていつもとても苦しかった。
学校でもバイトでも、ほとんどの時間を勉強関連に費やしていたM1の時とかと違って、思考力や説明力が劣るのは当然ちゃ当然なんだけど…それを認められない自分もいやだった。
毎回声が枯れるまで喋り倒してたけど、それが楽しくすらあった教える仕事が苦痛になってしまうなんて、思いもよらなかった。
生徒さんと親御さんに十分な指導ができなくてごめんなさいって謝ると、そんなことはない、できれば古文も…と言っていただけたんだけど、今もすごく悩んでいる。
うーん もっと日常的に学んだり思考力が刺激される環境に身を置きたい…。
専攻と全く関係ない仕事をしたことと、それにまつわる色々で体調を崩したことで頭が勉強とは全然違うモードになってしまったから
それを取り戻す意味でも半年間の留学に行くつもりでいるんだけど、選考に合格したとして、出発の9月まで今のままというわけには絶対いかない。
何かしらリハビリを進めなければと思いつつ、一人で勉強するのはとても孤独で刺激が少ない。
4月からは指導教員が学部の原典購読の授業にでもおいで〜と言ってくださっているし、ティーチングアシスタントとしてのお手伝いも増えるし、多分院の授業とかも潜れると思うから多少マシになるとは思うんだけど。
ほかにも地元の中国語サークルとか、市民講座とか通おうかのう〜。
好きなことに再挑戦するのは良いこととして、果たしてその場に戻った時、以前と同じような頭の働き、そしてなによりも同量の熱意を持って取り組めるのか という不安は常にあったけど、今回の家庭教師の件でそれが顕在化してしまった感じはある。
中国語の勉強とかしてても、なんだかいわれのない怖さや申し訳なさを感じることがあるんだよね。
一応信頼できる人にもそういう不安を話してはいて、「加齢による衰えはどうしてもあるだろうけど、基本人の脳は置かれた環境に慣れるようにできているから、少しずつ変えて/変わっていこう」みたいな結論にはなったんだけど。
そう思うと院生の時は本当に頭冴えてたなあと思う。中国人と中国語で喧嘩したり(留学中もそんなんしなかったのに笑)、学部生向けに講義していろんな反応もらえたり。今からは考えられないくらい、人前で淀みなく喋っとったな…。
でもそのぶん気持ちが尖ってもいて、よくイライラしていたような。今の平らかな自分もすごく好きなので、そこに戻るのは怖いけど、まあそうも言っていられないよな。
ピャ〜 難しい。
でもまた楽しく学びたいし教えたい気持ちはめちゃくちゃあるので、もがきます。バタバタ…